エスノグラフィは今後、普及するのか?

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前回紹介させていただいたP&Gのファブリーズの開発ストーリーは、多くの方から「面白かった/参考になった」とご反響をいただきました。


(前回の記事はこちら)


やはり商品開発は企業にとって極秘事項なので(もちろん、その調査を担当した調査会社にとっても)、このような話はなかなか表に出て来にくいものです。日本でも、このような事例がもっと紹介されれば、調査の価値がより多くの方に知ってもらえるのですが・・・

さて、ファブリーズの開発の話ですが、今回、私が協調させていただきたいポイントがひとつあります。ファブリーズの成功は定性調査なしでは決してありえなかったという話でしたが、その定性調査はグルイン会場でのグループインタビューではなかったという点です。前回書かせていただいたように、P&Gのマーケティングチームは、生活者の自宅に何度も何度も訪問し、実際の生活現場を見ながらインタビューを行うことによって、当初、苦戦していたファブリーズをヒット商品として復活させました。これはいわゆる、エスノグラフィというものですね。

今回は、このエスノグラフィについて考えてみたいと思います。ここ数年、エスノや行動観察といった言葉が我が業界ではよく登場するのは皆様ご存じのとおりです。しかしながら、実際にこのような定性調査が、我が国において急激に普及しているようにも思えないのですが、これは私が知らないだけでしょうか・・・

実際問題として、リサーチユーザー(クライアント)はエスノグラフィという調査をどのように見ているのでしょうか?少し前(2009年)になりますが、米国で29名のエスノグラフィを実施したことのあるリサーチユーザーに対してインタビューを実施した際の記事がありましたので、今回はこの記事に書かれていたことを中心にリサーチユーザーがエスノグラフィをどのように考えているかを紹介させていただきたいと思います。

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エスノグラフィと言っても、リサーチユーザーのとらえ方は様々

そもそもエスノグラフィって、どのような手法なのでしょうか。私も、これまでに、多くのリサーチユーザーの皆様や、調査会社の皆様と話をしてきましたが、人によってその定義は微妙に違うように思います。また、エスノを語る際に、行動観察という言葉と同義語で使っていたり、まったく別の手法として考えていたりする人がいます。まあこれは、それだけ手法としては確立されていないということの表れなのかもしれませんね。

米国のリサーチユーザーにも、このあたりの混乱はあるようです。

「誰かのオフィスでインタビューすることをエスノグラフィだといって調査会社から提案されるけど、私たちは、単に場所を変えただけのインタビューをエスノグラフィだとは考えていない。グルイン会場では実施できない、その生活/行動現場でしか出来ない観察インタビューだけがエスノグラフィだと考えている」(ファイナンシャルサービス)

エスノグラフィに行動観察が含まれるかどうかもクライアントによって意見が分かれるところのようです。私の感覚からすると、エスノグラフィの本質は対象者の行動を観察するというところあるように思いますが、必ずしもそうだとは限らないと考えるリサーチユーザーもいるようです。自宅やオフィス、飲食店、商業施設、ゴルフコースといった場所で、行動や生活文脈に沿ったインタビューがエスノグラフィだと考えるユーザーも少なくないようです。少なくとも、鏡のついたグルインルームで行われるインタビューはエスノグラフィではないと認識されているようですが、何がどこまでエスノグラフィなのかは人さまざまのようですね。

調査の企画の際には、このあたりの認識の相違がないように、クライアントと調査会社は十分に摺合せをしておく必要がありそうです。以下のようなことがないように・・・

「ある調査会社がエスノグラフィを提案してきたので、私たちは、女性がどのような日常生活を送っていて、小売店舗でどのようにお買い物をしているかがわかると思って契約したけど、私たちが見たのは、女性が家のソファでくつろいでいる姿とコーヒーショップでお茶している姿・・・これは私たちがサインしたつもりの調査ではなかったのでガッカリしたわ・・・」(広告・マーケティングサービス業)

P&G流エスノグラフィの本質・・・見て、聴いて、感じろ!

米国におけるエスノグラフィの旗振り役は、ファブリーズのストーリーにもあるようにP&Gです。P&GのCEOであるA.G. Lafleyは以下のように述べています。

「ボス(お客様/消費者)を注意深く観察せよ。そして、彼女たちをイノベーションのプロセスに積極的に参加させろ。すべては非常に単純なことから始まる・・・生活者を注意深く観察する。彼女たちの表情を見て、話を聴け。あなたのもっているすべての感覚(耳、目、感触、第六感までもを)を駆使して、何かを感じろ」。

また、Malcolm Gladwellという著名なエスノグラフィの提唱者も、彼のベストセラーであるBlinkという著書で、グルインルームの鏡の後ろからでは感じることのできないものを、「見て、聴き、感じろ」と述べています。

前節のようにエスノグラフィの定義の仕方は人それぞれですが、個人的にはエスノグラフィから価値ある結果を得ようとすると、P&Gのような「自分の持っているすべての感覚を駆使して感じる」姿勢が非常に大切なように思います。皆様はどうお考えでしょうか。もっとも、この「感じる」ということが、かなり抽象的なことなので、なかなかエスノグラフィが広がらない一因であるとも感じていますが。

エスノグラフィのアドバンテージ

エスノグラフィを経験したリサーチユーザーは少なくとも一つ以上のポジティブな経験をしているようです。そのポジティブな経験とは以下のようなものに集約されます。以下の事項は、我々、調査会社側の人間がエスノをアピールする根拠となっていることだと思いますが、ユーザーサイドから見ても同じようなメリットを感じているようです。

深い洞察/理解

エスノグラフィは、生活者の深層心理にまで突っ込んだ、深いレベルでの行動動機を理解できると考えられています。単純なインタビューでは掘り起こすことが出来ない、もっと深いところに根付いている自分自身も気づいていないモチベーションやニーズみたいなことを明らかにできると考えられています。

「あなたは、どのようなことに気を付けて食生活を送っていますか?」と聞いて「出来るだけ栄養バランスを考え野菜を取るように心がけています」と答えた対象者の冷蔵庫を開けると、野菜が全く入っていなくて、体に悪そうな、冷凍食品や加工食品がたくさん入っていたといったことはよくあることです。

生活現場を見る/感じることによって得られるインパクト

百聞は一見にしかずという言葉がありますが、エスノグラフィのメリットはまさにここにあると多くのクライアントが述べています(なので、上記に述べていますが観察がないエスノグラフィというのには少し違和感があります)。ビビッドなビデオテープは、決して言葉や文字では伝わらない本当の生活者の行動を、社内/社外、広告代理店等に伝えるのには最適な手段です。

「行動を見ると、言葉や文字では決して感じることのできない、また理解することが出来ない、深いレベルの何かを得ることが出来る。」(オフィス機器のコンサルタント)

「ビデオを見せることは社内のプレゼンにおいて、なによりも説得力のある材料となる」(メディア系のクライアント)

「グルインよりも、デプス、そして彼/彼女ら(生活者)をどこかに(グルインルーム)に連れてくるのではなく、私たちが彼/彼女たちに近づいていくことが重要。私たちの5000万円貰っている上級役員は、年収400万円の家庭がどのような生活を送っているのかは全くわからないのだから・・・」(飲料メーカー)

ホンネがわかる

多くのクライアントは、グルイン会場よりも、彼らの生活場面でインタビューしたほうが、よりホンネが聞けると信じているようです。なぜなら、グルイン会場よりも、生活場面でのインタビューのほうが遠慮というものが少なくなり、より正直によりオープンになる傾向があると考えるからです。

 

また、対象者の生活場面におけるインタビューは、記憶をよみがえらせるキーとなるものが多数存在するので、より正確に本当の生活行動を語ってもらうこともできると考えています。

「エスノグラフィのアドバンテージは、「教えてください」ではなくて「見せてください」が出来ることです。対象者にグルイン会場まで何かを持ってきてもらうことも出来なくはないが、家のもの全てを持ってきてもらうことは出来ないしね。前に農家の生活を知る必要があって、農地まで行ったことがあったけど、その時、対象者は実際にどういうことが簡単にできて、どういうことが難しいのか実際に見せてくれたんだ。そういうことはインタビュールームで話を聴いていても決して理解できなかっただろうね」(ファイナンシャルサービス)

「生活者はアルコールが入るとよりいオープンになって、より自然により深い話をするよね。だから自宅で1対1とか、仲間に集まってもらって話を聴くと、よりリラックスした雰囲気の中で、遠慮のない話を聴くことができると思う」

エスノグラフィの普及を妨げる障害

上記にように、様々なアドバンテージがあるエスノグラフィですが、それほどまでに普及していない理由はどこにあるのでしょうか?皆さんご想像の通りかと思いますが、ユーザーサイドからは以下のような意見が上がってきました。

時間がかかりすぎ

この手法は、調査会社のリサーチャーにとってはもちろんのこと、リサーチユーザーにとっても莫大な時間の投資が必要な手法です。上記のとおり、エスノグラフィは対象者のナマの生活現場を見ることが本質であると考えると、対象者宅への家庭訪問は必須です。しかしながら、この家庭訪問には(対象者の住所にもよりますが)どれだけ移動時間がかかることでしょうか!1日1件の家庭訪問しかできないことも普通です。年収5000万円の上級役員が1日のほとんどを移動に費やした際のコストを考えるとゾッとします。それを考えると、多少のクオリティの低さに目をつぶっても、対象者を会場に呼んでインタビューすることを選ぶのは当然かもしれません。

「デプスなら、朝9時から夜10時まで2日間実施するだけで、10サンプル以上のインタビューを実施できるよね。家庭訪問していたら2サンプルしかできないかもしれないのに・・・そして、集中して見ることが出来ることもよいよね」(メディアサービス)

 

また、実査のみならず、分析フェーズにおいても非常に時間がかかりすぎることを指摘する声も多数あります。

「エスノグラフィは素晴らしいのだけど、時間が永遠にかかる。グルインでもなんでも定性調査の分析はある種のパターンを見つけることだと思う。グルインではそれがすぐに見つかる。でもエスノで何らかのパターンを見つけるのには時間がかかりすぎ・・・」(ファイナンシャルサービス)

 

現場で撮影した莫大な量のビデオを見直し、そこから、意味あるパターンを見つけることは忍耐強い(時間のかかる)地道な作業が必要ということです。とはいえ、前回紹介したファブリーズの成功は、この地道な作業から生まれたといっても過言ではありません。このあたりをどう考えるかは、企業によって考え方の違いがあるように思います。

費用

1サンプルあたりの費用も、会場でのグルインやデプスと比べて遥かに高くなることは皆さんよくご存じの通り。それは上記の時間がかかりすぎることと大きく関連しています。これは決して調査会社から請求される費用だけの問題ではありません。リサーチユーザー側における内部コストも同時に考えなければなりません。繰り返しになりますが、前述のように年収5000万円の上級役員が1日のほとんどを移動に費やした際のコストはどれだけのものでしょう。

「(エスノグラフィに興味があるけど実施しないのは)単純に費用の問題ね。探索的な調査にあまり大きな費用はかけられない。だから単一のプロジェクトとしては、予算付けがしにくい。会社全体にかかわるような大きなテーマにかかわるプロジェクトなら予算が取れるかもしれないけど。また、社内で必須な調査だと認識されていないことも大きいわね。あればよいのだけど・・・といった程度の認識のされかたかな」(メディアサービス)

「単純にコストと価値の問題ね。エスノは費用がかかるから、本当に必要性を感じなければしないし、社内でも通らない」

マネジメント層を納得させることの難しさ

現場レベルでエスノグラフィを実施したいと思っても、エスノグラフィに馴染みのない上司を納得させることには非常に困難を伴うようです。

「私たちは、ずっとエスノグラフィの価値について、社内クライアント(マネジメント層)を教育してきました。いくつかのプロジェクトは実現しそうになったのですが、いまだ実現していません。それは費用と時間の問題が大きいと思います。ただもう一つ、パワーポイントに数字が並んでいて欲しいという彼らの欲求も大きな壁となっています。家庭訪問のビデオテープから何がわかるのか、それがどのように使えるのかが、彼らは理解できていないし私たちも納得させることが出来ていないですね。」

サンプル数とサンプルの質

もちろん定性調査は数字で語るものではないことは分かっているものの、エスノグラフィのサンプルは、グルインやデプスよりも、通常より少ないことから、不安に感じるユーザーもいるようです。

「6人だけのエスノグラフィで十分なのって不安になるわ。かといって予算の関係でサンプルは増やせないし。もちろんエスノグラフィで得られる情報が、グルインやデプスと比べて遥かにリッチなことは分かっている。それでも、数字に安心する部分があるのも確かなのよね」(飲料メーカー)

また、エスノグラフィに協力する対象者は普通ではないのではないかと疑念を抱くユーザーもいるようです。

「サンプルは代表性のある人たちなのだろうかと思うときはある。普通の人は、見知らぬ人を家の中にあげて何時間も一緒に過ごしてくれたりするのだろうか。「買い物に一緒に行っていい?」、「お洗濯を見せて?」、「どこにトイレットペーパーを保管しているのか見せてくれない?」こんな要求にこたえてくれるのだろうか。サンプルは外向的な人ばかり?」

分析者の分析能力

当然ながら、エスノグラフィを実施しても、価値のある結果が得られなければ、リサーチユーザーは失望します。そこには、分析者の能力不足ということも大きく関連するようです。

「分析者(調査会社)はすべての情報をまとめることが出来ていなかった。こういう事実がありました・・・という報告はたくさんあったのだけど、それらを統合して、だからどうなの・・・というところまで報告してくれないと全く意味をなさないわ」

 

調査会社側の人間としては耳の痛い言葉ですが、こういうことはよくありそうですね。特に、エスノグラフィを初めて実施するリサーチユーザーにとっては、分析を調査会社に頼るケースが多いかと思います。その際、調査会社側が期待に応えることが出来ないと、ユーザーは二度とエスノグラフィを実施しようと思わないでしょうね。

少し話はそれますが、私の知る限り、現在、我が国でエスノグラフィが実施される際には、広告代理店が主体となるケースが多いように思います。そこに調査会社も絡むのですが、調査会社の役割は、実査周りのみ(リクルートとインタビュアーの準備)で、企画や分析といった部分は広告代理店が行うことが多いように思います。これは、調査会社の分析能力が、クライアントから期待されるレベルに達していないということかもしれません。調査会社の人間としては残念な話ですが・・・。

エスノグラフィは今後、もっと普及するのか?

さて、これまでに述べてきましたように、リサーチユーザーはエスノグラフィには従来のグルインやデプスにはない様々なアドバンテージがあると考えています。一方で、エスノグラフィを容易に実施できない様々な要因を述べています。そして、現状では、エスノグラフィは定性調査の一つの注目すべき手法(オプション)ではあるものの、従来型グループインタビューやデプスインタビューのすべてにとって代わるものではないと考えられているようです。


「エスノグラフィが他の定性調査に取って替わるとも、替わるべきだとも思わない。調査手法のオプションの一つだよ」(メディアサービス)

「エスノグラフィは、グループインタビューの置き換えにはならない。両方に良い点があるので、私たちは使い分けていくと思う。」(ファイナンシャルサービス)

「多くの人は、現在のグルインやデプスに満足しているから、劇的に減るとは思わない。」(飲料メーカー)

この記事が書かれたのは約3年前で米国での話ですが、私は、上記の話は、現在の日本のリサーチユーザーのエスノグラフィに対する認識とほぼ同じではないかと考えています。では、これからもエスノグラフィは、あまり普及しないのでしょうか?

私は、今後、定性調査におけるエスノグラフィの割合は大きく増えていくものと考えています。なぜなら、エクノロジーの変化が、定性調査を取り巻く状況を大きく変えているからです。次回は新しい定性調査が、エスノグラフィをどのように変える可能性があるのかを考えてみたいと思います。