ビッグデータの落とし穴に
落ちない方法

今、マーケティング業界で「ビッグデータ」がホットなキーワードになっていることはよくご存知かと思います。JMRAが今年に入って新たに「ビッグデータ分析研究会」を発足させるなど、リサーチ業界においても避けては通れないテーマです。

しかしながらブームだからといって、ビッグデータにやみくもに飛びつくのは危険です。そこには「定量化バイアス」という落とし穴が潜んでいるかもしれません。

今回の記事では、ビッグデータの落とし穴にはまり凋落の道を辿ったNokia社の事例を紹介し、ビッグデータだけに頼る危険性について考えてみました。昨今、ビッグデータの時代と言われ、より定量データに注目が集まっている今だからこそぜひ読んでいただきたい内容となっています。

Nokiaの凋落

みなさんはNokia(ノキア)というフィンランドの企業のことをご存知でしょうか?かつては日本でも携帯電話端末が販売されていたので、名前くらいは聞いたことがある方も多いかと思います。

しかしながら、かつて、このNokiaが世界の携帯電話市場の50%に近い圧倒的なシェアを誇っていたことをご存知でしょうか?若い世代の方はよく知らないかもしれませんね。

そしてスマートフォンを最初に開発したのがNokiaだということをご存知の方は少ないのではないでしょうか。スマートフォンを発明したのはスティーブ・ジョブスで世界で初めて販売されたスマートフォンはiPhoneだと思っている方も多いかと思います。でも、これは間違いです。iPhoneが米国で最初に発売されたのは2007年ですが、その10年以上前の1996年にNokiaが発売した携帯電話「Nokia 9000 Communicator」を「スマートフォン」と呼んだのが名称の起源とされているそうです。

そんなNokiaですが、現在では、ほとんで耳にすることはありませんね。Nokiaの携帯電話事業は、その不振から2014年にマイクロソフトに売却されNokiaブランドでの携帯発売は無くなってしまいました(その後、2016年にはNokia OBによるスタートアップ企業に売却されたそうで、最近は復活の兆しが見られるようですが・・・)。

世界の50%シェアを誇り、またスマートフォンをiPhoneに先駆けて開発していたNokiaはなぜここまで凋落してしまったのでしょうか。

フィンランドのアレクサンデル・ストゥブ首相は、2014年のインタビューで「ノキアとフィンランドを殺したのはアップルである」とコメントしていています。なぜノキアはiPhoneによって駆逐されてしまったのでしょうか?

ここに面白い記事があります。2007年iPhoneが発表され発売される直前のNokia社の幹部のiPhoneに対する反応です。

「(電話やショートメッセージだけでなく)さまざまな目的で利用できる端末が求められているということ。単機能の端末はもはや死んだ。そして複数機能を持つ端末というのは、Nokiaが切り開いてきた市場だ。Appleは後続に過ぎない」

Nokia、Exective Vice President兼CTO:Tero Ojanpera氏

「アップルはすばらしいデザイン会社だ。しかし、ユーザーインターフェースを含めてほとんどの分野で最初に何かをした企業ではない。iPhoneはエキサイティングだし、Nokiaと同じようなアプローチを取っているという点で面白い。良いデザインで、シンプルなユーザーインターフェースの多機能端末が求められているということだ」

Nokia、Vice President, Find New, Multimedia Experiences:Ralph Eric Kunz氏

「多機能なタッチパネル端末という分野は2004年ごろからずっとNokiaがやってきたこと。必要以上に恐れる必要はない。Steve Jobsは素晴らしいデザインでこれまで市場を切り開いてきた。この分野で競争が起きるのは消費者にとっていいことだ」

Nokia Research Center, Head of System Research Center:Henry Tirri氏

いずれもiPhoneの登場にさほど危機感を感じているようには思えません。またこの記事を書いた筆者も

「米調査会社のStrategy Analyticsの調査によれば、2006年におけるNokiaの携帯電話世界シェアは世界トップで34.1%。Appleは当初米国のみで端末を販売し、価格も499ドルからと高い。さらには端末がiPhone、1機種であることを考えると、Nokiaの世界シェアに影響を与えるほどの存在ではないというところだろう」と危機感を感じ取っていない様子をレポートしています。

なお、Nokiaがスマートフォン競争でiPhoneやAndroidに敗れ去ったのは、Nokiaがそれまでスマートフォン用に開発していたsymbianというOSがiOSやAndroidに劣っていたことが直接的な要因だと言われています。そしてそれは、Nokiaがスマートフォンの潜在的な需要ニーズに当初気づかずsymbianの進化に注力しなかったからだと言われています。

では、Nokiaの幹部は、なぜスマートフォンに対する潜在的かつ、実は爆発的であったニーズに気づかなかったのでしょうか。なぜ iPhoneの登場に楽観的であったのでしょうか?その背景にはビッグデータ(定量データ)への過信があったことが一因のようです。

Nokiaの凋落の原因はビッグデータへの過信

かつてNokia社のために新興国、特に中国市場の調査を行っていたTricia Wang氏という方がいます。この方が2016年のTEDで「The human insights missing from big data」という非常に興味深いプレゼンテーションを行いました。

Wang氏はこのTEDのプレゼンテーションで、我々が今後ビッグデータにどのように向き合うべきかについて、Nokia凋落の事例を交えながら非常に示唆に富む内容を語ってくれています。以下に、その内容を抜粋して紹介させていただきます。

※このプレゼンテーションはこちらで見ることができます。日本語訳もあるのでぜひ見ていただきたいと思います。

まずはNokiaの経験した凋落について以下のように語っています。

  • ビッグデータは今や巨大な産業にも関わらず 利益は驚くほど低い。ビッグデータへの投資は容易だが活用するのは困難である。ビッグデータを使ったプロジェクトの73%以上は赤字である。
     
  • 2009年に私はNokiaで調査研究の仕事を始めた。当時Nokiaは世界で最大手の携帯電話会社であり中国、メキシコ、インドなどの 新興市場を支配し — これら全ての国において 低所得層の人が どのようにテクノロジーを利用するか調査研究をした。特に中国には時間をかけた。

     
  • そこで私は建設労働者に点心を売る露天商をした。またフィールドワークで何日も夜も昼もネットカフェで過ごし中国の若者と出歩いたりして、若者がゲームや携帯電話をどう利用しているか、田舎から都市部への移動時に携帯をどう使うかを理解するといったこともした。

     
  • こういった自分が集めた質的(qualitative)な証拠の全てを通して私にはっきりと見え始めたのは、中国の低所得者層に、今まさに 大きな変化が起ころうとしていることであった。そこで見えたことは

    「中国では底辺所得者層の人々でさえもがスマホを欲しいと考えていて、一台手に入れるためならほぼ何でもする」

    ということであった。私は多くの定性データを元に、このことをすごく自信を持って予見できた。
     
  • 私はワクワクしながら その予見をNokiaの幹部に知らせたのだ。しかしながらNokiaの幹部たちはその予見に懐疑的であった。それがビッグデータではなかったからだ。

    「我々は何百万ものデータポイントを持っている。だがスマホを購入したいと思う人の指標は見えないし、たった100件のバラバラのデータでは弱すぎる。まともに取り上げるに値しない」と・・・
     
  • 私は言った。

    「御社のいう通りです スマートフォンがどういうものかを人が知らないという前提で調査していれば、当然見えないでしょうね だから当然、これから2年間でスマホの購入を希望する人についてのデータを手にすることはありません。御社の調査と手法は既存のビジネスモデルを最適化するためのデザインですが、私が見ている人間の動態は これから出てくるものでまだ起きていない事象なのです。私たちは市場力学の外側を見て、その先を行けるよう努めています」
     
  • Nokiaの結末はご存知の通りである。業績は崖から落ちるように下がった。これは大切なものを見落としたことの代償ではないだろか。



そしてビッグデータを利用する際には「定量化バイアス」というものが生まれその危険性を語るとともに、ビッグデータを上手く活用するにはThick Data(シックデータ)と呼ばれるデータが必要だと主張しています。
 

  • 私はNokia以外にも様々な組織が「定量モデルから出たものではない」とか「合致するモデルがない」という理由でデータを廃棄するのを数多く見て来た。でもそれはビッグデータそのもののせいではない。ビッグデータを私たちがどう扱うかであり、それは私たちの責任である。現在ビッグデータを使用した成功例はごく限定された環境の定量化に基づいたものである。例えば送電網や物流システムの構築や遺伝子コード解析など、ほぼ閉じたシステムを定量化した場合のみである。
     
  • ビッグデータに頼るだけでは何かを見落とす可能性が高まる一方で全てが分かっているかのような幻想が生まれる。このパラドックスに気づき理解することが非常に困難なのは、私が「定量化バイアス」と呼ぶ状況があるからである。それは測定可能なものを測定不可能なものよりも重視するという無意識の信念である。
     
  • 私はビッグデータのシステムの全てが根拠のない予想だと言うつもりもない。全くその反対である。しかしビッグデータにも、私がThick data(シックデータ/濃密データ)と呼ぶものを収集できる ― エスノグラファーやユーザーリサーチャーといった人が必要だと思う。これは物語、感情、人間関係などの人間に由来し定量化できない貴重なデータである。私がNokiaのために収集したデータの類でありごく小さなサンプルサイズという形で手に入るデータだが信じられないくらい深い意味を持っているものである。
     
  • 濃密さと示唆に富んだシックデータを生むのは人間の語りを理解する経験である。そしてそれこそが現行モデルの中の 見落としを見つける助けとなる。シックデータはビジネス上の問いを人間の問いに基づいたものとなし、だからこそビッグデータとシックデータを統合することで正しい全体像に近づくことができる。ビッグデータが大規模な洞察をもたらし機械知能を最大限活用できる一方でシックデータはビッグデータを使えるようにした時に失われた文脈を取り戻して人的知能を最大限に活用するのに役立つのである。

ビッグデータの落とし穴に落ちない方法

(マーケターAさん)

「今度の新製品企画の社長プレゼンですがこのような方向でいきたいのですが・・・」

(上司Bさん)

「インタビュー5人だけの結果?この5人は特殊な人なのじゃないの?」

「プレゼンには具体的な数字(データ)を盛り込んでくれ。じゃないと説得力が出ないよ。」

「サンプル数30・・・少ないな。こんな少ないデータでは社長は納得しないよ。1000人くらいに聞いたデータじゃないと。」

世の中の企業では、このような会話が日常的に行われているのではないでしょうか。ビジネスの世界では数字による定量データが(それがゴミのようなものであっても(笑))圧倒的に重視され、数字ではないデータ(定性データ)は軽視されたり無視されたりしがちです。これはリサーチ業界において定性調査にくらべて定量調査の売り上げが圧倒的に多いことを見ても明らかです。

しかしながら企業は数字による定量データだけで正しい意思決定ができるのでしょうか?

Wang氏も述べているように、ビッグデータに代表される定量データそのものが悪いと言っているのではありません。むしろビッグデータは今後、マーケティングの世界に様々な革新的な価値をもたらしていくことでしょう。ただビッグデータはもちろんのことネットリサーチ等で収取された定量データには、「定量化バイアス」(=人間には測定可能なものを測定不可能なものよりも重視するという無意識の信念)と呼ばれる落とし穴があることも理解しておいた方がよさそうです。

この落とし穴に落ちないために重要になってくるのが定性データです。

「昨今ビッグデータが話題になっているが、ビッグデータはあくまで過去に関するデータである。ビッグデータは過去について語ることはできるが未来を予測するものではない。多くの企業がビッグデータは、それだけでは使えないことに気づきはじめている。ビッグデータは、who、what, whenに答えられるがwhyには答えられない。Whyに答えられる定性調査が今求められているのである。」

Pam Danziger, - Speaker, Author, Market Researcher, Unity Marketing

これは2017年のリサーチ業界を予測する記事内で紹介させていただいたDanziger氏の予測です。Wang氏と同様にビッグデータは過去を見る道具であり未来を予測するものではないと述べています。そしてビッグデータ時代だからこそ、その落とし穴に落ちないための定性調査の重要性が高まると予測しています。みなさんはどう思いますか?